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日々是好日

まん延するニセ〜

[まとめ] まん延する「まん延するニセ科学」

http://d.hatena.ne.jp/utiliti/20061226


なんか改編が流行ってるっぽいので便乗してw
ネタをネタとして(以下略


以下執筆(?)中


<原文引用元>
http://d.hatena.ne.jp/f_iryo1/20061221/shiten

まん延するニセ平和主義

 みなさんは、「ニセ平和主義」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。

 これは、見かけは平和主義のようだけれども、実は、平和主義的とはとても言えないもののことで、「疑似平和主義」や「似非平和主義」などとも呼ばれます。

 『そんなものがどこにあるんだ』とお思いの方も、例として、無防備都市宣言や、憲法9条を守る会や、ピースボートなどの名前を挙げれば、『ああ、そういうもののことか』と納得されるかもしれません。それとも、かえって、『え?』と驚かれるでしょうか。

 例えば、皆さんもよくご存知のように、『自衛隊は軍隊だ』と盛んに言われ、ひところは大手マスコミもこぞって自衛隊を批判すほどのブームになりました。自衛隊が批判されたのは、もちろん、軍備を持つと戦争に繋がると信じた人が多かったからでしょう。テレビや雑誌などでも頻繁に取り上げられましたから、それを疑えという方が無理な話かもしれません。

 しかし、実は、自衛隊を持つと戦争が起きるという具体的な根拠は、ほぼない、といってよいのです。あのブームは、まったくの空騒ぎでした。大手マスコミまでが、なぜ、その空騒ぎに乗ってしまったのか。きちんと検証しておく必要があります。

 いまは、憲法9条改憲反対に、人気が出てきているようです。しかし、実のところ、憲法9条があったところで、せいぜいお守り程度の効果しか期待できません。

 いま、このような、平和主義のようで平和主義ではない、「ニセ平和主義」が蔓延しています。

 こういった「ニセ平和主義」のなかに、しつけや道徳に関わるものがあります。その話をしたいと思います。

 よく知られている例の一つは、『軍隊を持たなければ戦争にならない』といういわゆる「無防備都市宣言」です。しかし、この説に、現実的に実現しうる根拠はないのです。その意味で、これもまた「ニセ平和主義」です。

 もちろん、どんな軍隊にもそれなりの攻撃性がありますから、パワーバランスに影響することはあるでしょう。しかし、それだけなら、貿易や外交活動などでも同じです。戦争が起こるかどうかとは、まったく別の話なのです。

 ところが、この説は、教育関係者に広く受け入れられています。全国各地で、教育委員会やPTA主催の講演会が開かれているようです。

 もちろん、戦争ばかりするのは困るという人は多いでしょうし、学校の先生もそういう風潮を何とかしたいと思っているのでしょう。
 そういうみなさんにとって、「無防備都市宣言」が一見、福音に思えたことは分かりますが、実現性のないものに飛びついても、仕方がありません。

 そもそも、戦争が起きるかどうかというのは、自国の軍隊だけの問題ではなく、他国との関係の問題だったはずです。戦争をして困ると考えるなら、やめるようにきちんと考えるべきでしょう。戦争の根拠を自国の軍備だけに求めようとしてはいけません。

 さて、「ニセ平和主義」が受け入れられるのは、平和になると感じるからです。つまり、ニセ平和主義を信じる人たちは、平和が嫌いなのでも、平和に不審を抱いているのでもない、むしろ、平和を望んでいるからこそ、信じるわけです。

 たとえば、無防備都市宣言がブームになったのは、『武装しているから戦争が起こる、武装しなければ戦争は起こらない』という説明を多くの人が「平和的理論」として受け入れたからです。

 しかし、仮に、国連大使にに、『平和は実現しないのですか』とたずねてみても、そのような単純な二分法では答えてくれないはずです。

 『平和といってもいろいろあるので、武器は争いを引き起こす可能性もあるのですが、治安の維持には武装しなくてはなりませんし、強すぎる兵器はなにか悪いことも起きるでしょうし、ぶつぶつ……』と、まあ、歯切れの悪い答えしか返ってこないでしょう。

 それが現実的な解釈だからしょうがないのです。

 ところが「ニセ平和主義」は断言してくれます。

 『無防備都市宣言は平和になるいといったら平和になるのです。

  また、日本が平和なのは、憲法9条があるからです。

  ピースボートは世界平和を目指す良いNGOなのです。』

 このように、「ニセ平和主義」は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは、本当の平和主義には決して期待できないものです。

 しかし、パブリックイメージとしての平和主義は、むしろ、こちらなのかもしれません。『平和とは、様々な問題を解決して、曖昧さなく白黒はっきりつけるもの』平和主義にはそういうイメージが浸透しているのではないでしょうか。

 そうだとすると、「ニセ平和主義」は平和主義よりも平和にしてくれるように見えているのかもしれません。

 たしかに、なんでもかんでも単純な二分法で割り切れるなら簡単でしょう。しかし、残念ながら、世界はそれほど単純にはできていません。その単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが、重要だったはずです。そして、それを考えるのが、本来の「平和的思考」であり「平和主義」なのです。二分法は、思考停止に他なりません。

 「ニセ平和主義」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。そうではなく、私たちは、『合理的な思考のプロセス』、それを大事にするべきなのです。


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