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日々是好日

「鏡の法則」の批判への批判

2006-07-04 - 気になったネタリンクから


http://www.arai516.com/blog/2006/07/post_e7bc.html


まぁおいらが感動した話だからと言って、万人が感動して涙するとも思っていないし
あなた方が感動しなかったと言って、心の狭い人だとか荒んでるとか思わないですし・・・いや、ちょっと思うかw
<訂正>
ただ、肯定派の人格まで否定する人はちょっと心の狭い人だなと思うけどw
<追加>
なんか肯定派の人も否定派の人格否定するみたいですねぇ〜
子供の喧嘩じゃないんだから・・・とは思います


まぁ裏を返せば批判記事がある文章ほど人気があるって事でしょう
誰も見向きもしない文章を批判しても空しいだけです

ではなぜ批判するか
それは、「大衆が騙されてるようだけど俺は違う」→自慢です。
「お前ら騙されてるんだ、俺が気付かせてやる」→独り善がりです。
総じて批判者達は、感動した人たちを指して下に見る傾向があるようです。
まぁおいらも批判してる人を見下していないとは言い切れませんが^^;
どうしてそう頑に否定するかが良くわからないんですが・・・
<追加2>
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060705#p1
ここは良い解説ですね
否定派の過剰反応に書かれています
もっとも、この人自身は否定派のようですが^^;


「そんな事は言われなくてもわかってる」→あなたがわかっててもわからない人が居ます
わからない人の為の文章です、わかってる人はスルーして下さい。
「話がうまくいきすぎてご都合主義だ」→当たり前です、おそらく元あった話(実話かどうか知りませんが)を判りやすく簡潔に短くしているからでしょう
おそらく文庫本ぐらいの長い文章だとこんなに広まってないはずです
自己啓発や新興宗教の類いだろ」→自己啓発や新興宗教が悪い訳ではないです、悪いように利用する人が悪いんです
宗教を否定する事はできないと思いますが
「90%も泣くなんて嘘、俺は泣かなかった」→嘘でしょうね
これは広告につくアオリです、別に広告マスコミ業界では珍しくないと思いますが
それに立場の違いというのもあります。感動した人から見たら90%ぐらいの人は感動すると思うでしょうが、泣かない人から見たら10%も泣かないのでは、という主観の問題です
「レイアウトがくずれて読む気がなくなった」→素人のブログに何を求めてるんでしょうか?
ブログだから人に読まれる事を前提に書いてると思いますが、プロではないんですし
あなたに読んでもらうために書いてはないと思います
ちゃんと読んでいる人も居るようですから、やる気がなくなったのは貴方の問題ですね
「これで感動する奴はリテラシーがない」→カタカナ語は良くわかりませんが「文章読解能力」という事でしょうか?
この文章は要するに「おとーさん、おかーさんを大切にしよう」という事だったと思うんですが・・・何か他に重要な事書いてました?
「救えない人も居る」→当たり前です。救えない人が居るから意味がないのではなく、救える人が居るから意味があるんですよ
「これで救われる人なんて元から問題アリだろ」→元から問題をかかえている人へ向けての文章です
案外、豊かな物質界である現在はこういった人が多いと思うんでしょうがどうでしょう?
親とも親しい人とも関係が良好で、精神的にも充実しストレスを貯めず、楽しい人生を謳歌している人はスルーして下さい。
まぁそもそもそんな人なら、こんな稚拙な文章に噛み付いたりしてないでしょうが


どうも批判者を見てると男の人が多いなぁ・・・
やはり精神的な傾向でしょうか?
それとも、話が母親に向けてのものだったからかな?
でも、子供を持つ親ならわかる感情かもしれん


コレがもし著名な心理学者が書いたらやはり同じ様な批判されたんだろうか?
(心理学では普通に行われる治療法みたいなので)
カウンセリングに行ったら精神科医からこの話を勧められたら面白いんだけどな
もちろん否定論者にw


昔流行った「一杯のかけそば」が今ブームになってたら同じようになったんだろうかなぁ・・・