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日々是好日

日本ファーストフード物語

テストに出ない日本の歴史w(年代は西暦)

  • 1600年 関ヶ原の合戦に勝利した初代会長徳川家康は、寿司チェーン店を全国展開し日本統一を果たした
  • 1639年 3代目社長家光が鎖国令発布。海外企業の国内出店を禁じる。
     以後300年間独占企業となるが、社内では横領・贈収賄が蔓延し徳川社は腐敗していった。

 徳川社が日本国内を独占していた頃、海外では「フランチャイズ海外出店大キャンペーン中」で、欧米列強のファーストフードが世界を席巻していた。
 キャンペーン対象はアジアも含まれ、日本・朝鮮・タイ以外の国々は西欧のチェーン店に蹂躙された。

  • 1853年 浦賀沖にペリー来航。日本国内にハンバーガー店を出店したいと要請。浦賀店店主に契約書を渡して帰った。
     翌年、アメリカハンバーガー社と契約。続いてサンドイッチ社(イギリス)、パルナス社(ロシア)とも契約させられる事になる。
     (ちなみに前の年にオランダを通じて「契約書持って行くからね」と徳川社に通達していたが、本社には届かずうやむやにされてしまったらしい)

 坂本龍馬「牛丼の夜明けぜよ」
 土佐の坂本龍馬は西欧列強に負けない新たなファーストフード「牛丼」を開発。
 薩摩と長州の協力を得、徳川社の寿司に対抗できる力を有す。

 明治維新により、長く続いた太平の世は終わり、激動の時代が始まる。
 日本は「早い・安い・美味い」をスローガンに富国強兵の道を進み、欧米列国に立ち向かおうとした。

  • 1877年 維新三傑の一人、西郷隆盛が九州にて新会社設立。さつま揚げを世に広めようとするが、牛丼の前にあえなく敗戦。薩摩社は解体する。国内商戦の終了。
  • 1889年 社内の規律を成文化し大日本帝国憲法制定。アジア初の成文化マニュアルと言われている。

 明治社の当面のライバルはパルナス社(ロシア)であった。
 列強で広い営業圏を持ち、領土が近接しているパルナス社は脅威だった。
 明治社は防衛地として朝鮮半島に新たな会社を設立する事を目論むが、李氏朝鮮社は鎖国中。
 一方パルナス社は国内支店が冬になると雪に埋もれて機能しなくなる為、南方進出は必須だった。

  • 1894年 朝鮮半島琉球の営業権利を巡り清国ラーメン屋と対立、戦争となる。清のラーメン屋台に苦戦が予想たれたが勝利。
     (勝利を記念して日清カップラーメンが発売)
     これにより朝鮮はラーメン社(清国)の手を離れ、日本のバックアップで新会社大韓帝国キムチ社を設立。
  • 1895年 パルナス社(ロシア)・フランクフルト社(ドイツ)・クレープ社(フランス)の干渉により、日清戦争で得た遼東半島支店をラーメン社(清国)に返還させられる。
     (後の1898年にパルナス社のものとなる)
  • 1900年 ラーメン社の若手社員が外資系企業排除活動を開始。
     会長の西太后も乗り気で各社に宣戦布告したが、明治社(日本)・フランクフルト社(ドイツ)・サンドイッチ社(イギリス)・クレープ社(フランス)・パルナス社(ロシア)・ハンバーガー社(アメリカ)・パスタ社(イタリア)・音楽喫茶社(オーストリア)の8社連合により封殺される。
     しかしこの混乱に乗じパルナス社は満州全土に支店を拡大する。
  • 1902年 パルナス社の東アジアにおける南方支店拡大に危機感を感じた明治社とサンドイッチ社(イギリス)が提携。
  • 1904年 南方支店拡大を続けるパルナス社とそれを阻止しようとする明治社がついに激突。旅順商戦・日本海商戦で死力を尽くした明治社、本社内紛で対外営業が疎かになったパルナス社は1905年和解。
     明治社は樺太支店、南満州鉄道運送会社を得る。

 日露戦争は実際には引き分けであったとの見方がある。実際にこの時の借金は膨大で後々まで尾を引く事になる。

  • 1906年 営業成績の上がらない大韓国帝国キムチ社ソウル本社にCEOとして伊藤博文を派遣。しかし1909年安重根のスキャンダル告発により失脚する。
  • 1910年 明治社は大韓帝国キムチ社を吸収合併。
  • 1912年 明治天皇会長が退き、大正天皇会長が就任。社名を大日本帝国大正株式会社とする。
  • 1914年 ヨーロッパで第1回激安商戦が始まる。
     大正社は日英同盟によりフランクフルト社(ドイツ)に宣戦布告。東アジアにあった中国支店と南洋諸島支店を傘下に置く事に成功。
     また品不足となった欧州各社に材料を売る事で大正社の利益は拡大した。(が、一過性のものですぐに戦後恐慌となる)
  • 1917年 欧州商戦の安売りし過ぎでパルナス社が破産。
  • 1918年 連合国の要請を受けシベリアへ出店。連合国の撤退要請を無視してシベリアに新会社を設立しようとするが、国際連盟の発足により断念。
  • 1921年 ワシントンで、支店の出店割合を英・米・日で5:5:3にする事が議決される。
  • 1922年 ピロシキ社(ソ連)がパルナス社の後を継ぐ形で設立される。
  • 1923年 関東大震災。シベリア出店と併せて不良債権が積み重なる。
  • 1926年 大正天皇会長が退陣。昭和天皇が会長職に就く。昭和株式会社に社名変更。

 日露戦争の勝利もあり、世界5大会社に数えられ、欧米各店と肩を並べた日本昭和社。
 しかし逆にその事が各社の反感を買い、対立を深める事になる。

  • 1929年 全世界を不況の嵐が吹き荒れる。欧米列国は海外支店を多く持っていたのでなんとかしのぐが、先の商戦で多額の借金を抱えたバイエルン社や、支店の少ない昭和社は苦難の道に立たされる。
  • 1931年 関東軍営業所が満州全土に支店を拡大。
  • 1932年 日本の後押しで満州豚まん社が設立される。
  • 1933年 豚まん社(満州国)の設立について国際連盟で昭和社の行動が非難される。昭和社は国際連盟グループを脱退。
  • 1937年 盧溝橋で昭和社と中華民国飲茶社の安売り商戦勃発、全面商戦に発展。
  • 1939年 ヨーロッパで第2回世界激安商戦が開催。

 中国大陸での利益を確保したい昭和社とハンバーガー社(アメリカ)の関係は改善が見られなかった。
 起死回生を図りフランクフルト社・パスタ社にピロシキ社(ソ連)を加えた4社同盟でハンバーガー社に圧力を加えようとするが、ピロシキ社が脱退したことで裏目に出る。両者の決裂は決定的となる。

  • 1940年 昭和社(日本)・フランクフルト社(ドイツ)・パスタ社(イタリア)が提携。
  • 1941年
     昭和社とピロシキ社(ソ連)はお互いの領土内に支店を作らない事で合意。昭和社は南方支店拡大に力を入れる。
     クレープ社(フランス)がフランクフルト社(ドイツ)に負けると、昭和社はベトナムに出店。しかしハンバーガー社(アメリカ)等に非難される。
     ベトナム支店開店の制裁として、昭和社のアメリカ支店が閉鎖される。また、アメリカより牛肉の輸入が禁止される。
     当時牛肉の輸入は7割をアメリカに頼っており、輸入禁止が半年続けば1000万人の失業者が出ると試算された。


 ハンバーガー社の営業ハルよりハル・ノートを渡される。昭和社はこれを最後通牒と解釈。開戦に踏み切る。
(昭和社は中国大陸にある全ての支店を撤退させる事。というのが受け入れられなかったと考えられるが、期限が決められてなかったのでのらりくらりとかわす方法もあったのではないかと言われている)


 昭和社、ハワイ真珠湾支店をハンバーガー社(アメリカ)に断りなしに開店。
 (アメリカ営業所の社員が、ハンバーガー社への通達を遅らせたために奇襲となったが、それ以前にハンバーガー社から奇襲を受けている。また、中国大陸では既に飲茶社(中華民国)の手助けをする形で昭和社とハンバーガー社は交戦状態にあった)