sidewalkcafe blog

日々是好日

聞こえるといふ事

 子供の頃に耳を煩ってから、もしかしたら聞こえなくなるという漠然とした不安があった。
だが幸いにも、耳鳴りが治らないだけで聞こえなくなるという状況には未だ至っていない。
(もっとも耳鳴りの所為で高音域は聞き取り難いが)

 同時に、目が見えないという事も、非常に苦しい障害なんだろうなぁと思ったりもする。
前出「暗いところで待ち合わせ」では、目の見えない女性が主人公だった。
しかし作者である乙一氏は、彼女に生きる事への希望を与えている。
こういった作品が書けるのが乙一さんの良いとこだと思う。

 同じ作者の「失はれる物語」では、見えず聞こえず喋れずの盲聾唖に加え、味覚・嗅覚・右腕以外の触覚を奪われている。
 そのような状況で生きれるのか、生きる意味は・希望はあるのか?
この作品の顛末は是非ご一読頂きたいと思う。

 ところでこの作品に良く似たお話を思い出した。
 手塚治虫氏のブラックジャックの中の一話なのだが・・・題名は忘れた^^;
とある社長が事故にあい、植物状態になってしまう。
それ以来、彼は身体のどこも動かすことができず目もあけず喋らず、全く無反応の人間となった。
だけど彼の意識はちゃんと残っており、呼吸を使って意思の疎通を計るというお話。
 なんとなく似てるねぇ・・・
でも呼吸ができるなら喋れるような気もするけど^^;


 さて、こういった障害者の話で良く引き合いに出される人といえば、ヘレン・ケラーなんじゃないだろうか。
彼女は幼い頃から重度の障害により盲聾唖の枷を背負ってしまった。
 しかし、その障害を乗り越えた人物として語り継がれている。
「奇跡の人」という劇や映画になって有名らしいが、この奇跡の人というのは邦題で、
決してヘレン・ケラーを指して奇跡の人と言っているのではないそうだ・・・
はてなのアンカーにも、「奇跡の人」と呼ばれているとか書いてあるけど)

 まぁ詳しくは「漫画の中の聴覚障害*1」というウェブページに書かれているのでそちらをご覧下さい。
(今日はこんなんばっかだなw)

そういえば「神戸在住6巻」にも手話で話す人が出てたな。
とは言え、手話の出て来る漫画というのは案外少ないようだ。


 小説の世界と云うものは「見えない世界」だと思う。
其処には活字しかなく、読者は少ない情報から情景を描き、作者はより鮮明な言葉で物語を綴っていく。
 だから「暗いところで待ち合わせ」のような「見えない物語」というのは、小説にピッタリなんじゃないだろうか?

 ならば漫画は「聞こえない世界」だ。
しかし音を表現する手法があり、手話を絵に書くというのも難しいのかそういった漫画はあまり多くないみたい。
   それはもっと根本的な障害者に対する配慮(?)からなのかもしれないが。


 最後に、音だけのゲームというのもあったりする。
リアルサウンド」というゲームなんだけど、音のトリックにはまってしまう。
目は閉じられているのに様々な景色が浮かんで来る。

 味は臭いで変わるのと同じように、我々が見ている景色も音で変わるのかも知れない。
神童」であるように、音の無い世界は色あせて見えるのだろうか。

 普段、普通に生活していて気付かない事だけど、今この時だけは「聞こえるといふ事」を幸せに感じてみたり。